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HOUSTON ASTROS FAN PAGE |
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遊撃手から突然投手へ変貌。フランチャイズプレイヤーとして期待の投手。
意外と制球力があり、あだ名は「コーチ、サンプソン」。
注:英文表記に慣れるため英語にて記載しております。英文文字にカーソルを当てると日本語訳が出ます。
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【43】 クリス・サンプソン [ Chris Sampson ][ Full Name = Christopher K. Sampson ] |
[ 投手 右投げ/右打ち/30歳 ][ メジャーデビュー06/06/02 ][ 誕生日78/05/23
][ 出身:テキサス州] |
Year |
Team |
Org. |
Level |
G |
AB |
AVG |
HR |
RBI |
SB |
R |
H |
2B |
3B |
BB |
SO |
SLG |
Salary |
1999 |
Auburn (NYPL) |
HOU |
A- |
51 |
159 |
.239 |
1 |
19 |
21 |
23 |
38 |
7 |
3 |
22 |
49 |
.340 |
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Year |
Team |
Org. |
Level |
ERA |
W |
L |
SV |
G |
GS |
CG |
SHO |
IP |
H |
R |
ER |
HR |
BB |
SO |
Salary |
2003 |
Lexington (SAL) |
HOU |
A |
1.39 |
4 |
3 |
1 |
22 |
14 |
0 |
0 |
84.0 |
66 |
17 |
13 |
2 |
14 |
66 |
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2003 |
Salem (Caro) |
HOU |
A+ |
5.91 |
1 |
1 |
1 |
9 |
0 |
0 |
0 |
10.2 |
14 |
8 |
7 |
0 |
5 |
6 |
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2004 |
Salem (Caro) |
HOU |
A+ |
3.80 |
7 |
11 |
0 |
27 |
27 |
2 |
2 |
151.2 |
170 |
72 |
64 |
8 |
26 |
101 |
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2004 |
Round Rock (Tex) |
HOU |
AA |
0.00 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
2.0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
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2005 |
Coprus Chr (Tex) |
HOU |
AA |
3.12 |
4 |
12 |
4 |
32 |
19 |
2 |
1 |
150.0 |
147 |
67 |
52 |
11 |
19 |
92 |
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2006 |
Round Rock (PCL) |
HOU |
AAA |
2.51 |
12 |
3 |
4 |
27 |
18 |
0 |
0 |
125.2 |
110 |
48 |
35 |
12 |
14 |
68 |
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2006 |
Houston Astros |
HOU |
MLB |
2.12 |
2 |
1 |
0 |
12 |
3 |
0 |
0 |
34.0 |
25 |
10 |
8 |
3 |
5 |
15 |
$327,000 |
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2007 |
Round Rock (PCL) |
HOU |
AAA |
0.00 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
3.0 |
3 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
|
2007 |
Houston Astros |
HOU |
MLB |
4.59 |
7 |
8 |
0 |
24 |
19 |
0 |
0 |
121.2 |
138 |
64 |
62 |
20 |
30 |
51 |
$380,000 |
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Story of Sampson |
サンプソンは、1999年のドラフトで、アストロズから8巡目(全体263番目)で指名され、プロ契約をいたしました。
当初、遊撃手として入団したサンプソンは、シングルAオーバーンで、51試合に出場し、打率.239、1本塁打、21盗塁、19打点の成績でしたが、2000年2月に一度自ら引退をしています。これは、過酷なマイナー生活により崩壊寸前だった、奥さんとの夫婦生活の改善を優先させた結果でしたが、報われず離婚となってしまいました。
その後サンプソンは、ダラス郊外プラノのコリン・カウンティ・コミュニティ・カレッジ(短大)の大学野球チームで仕事を見つけ、アシスタントコーチとしてしばらく働いていました。そこでのある日、彼の人生を変える出来事があるとは思ってもいませんでした。
それは、とある紅白戦中にピッチャーが突然ケガをしたため、急遽コーチであるサンプソンが代理投手として助っ人参加することになり、いきなり6人の打者と対戦し、5人から三振を奪いました。ヘッドコーチのグレッグ・デニスが、「なぜ、プロ野球をやめたんだ」と言ったことがきっかけで、サンプソンは2回目のチャンスをアストロズに求めました。そして、2003年のマイナーリーグのスプリングトレーニングに招待されました。
しかし、この話にはもう1つの運命の巡り合わせがありました。この、6打者中5奪三振を奪ったとき、バッテリーを組んだのが、当時大学1年生だったJ.R.トウルズだったのです。この時は、コーチと選手の立場であり、あまり会話をしませんでしたが、お互いの存在は覚えていました。その翌年には、大学野球チームが廃止となり、二人は会うことがありませんでした。
そして2003年、みごとピッチャーとして復活し、実績を重ねて行きました。
2006年には、トリプルAラウンドロックで、12勝3敗、防御率2.51というすばらしい成績を収め、ついに念願のメジャーデビューを果たすことが出来ました。
メジャーデビューは、6月2日のシンシナティ・レッズ戦。この日先発したワンディ・ロドリゲスが大乱調で1回1/3で降板し、引き継いだのが彼である。このリリーフ登板で、5回1/3を投げ、6安打3失点とまずまずのデビューを果たしました。
彼が、メジャー初先発のマウンドに立ったのは、6月7日地元ミニッツメイドパークでのシカゴ・カブス戦。この日は、7回を3安打に抑える好投を見せ1勝目をゲット。試合も1−0で勝利しています。
2007年、開幕からローテーションに名を連ねたサンプソンでしたが、3点台だった防御率が、6月には5点台に低下と、右ひじ痛に悩まされました。
同年9月、コールアップによりJ.R.トウルズがメジャーへ昇進した際、クラブハウスでサンプソンと対面した時に、「こんにちは、コーチ。お久しぶりです!」と冗談で挨拶したことで、チームメイトからは、「ヘイ!コーチ、サンプソン!」と言う呼び名が定着したようです。
2008年は、サンプソンとトウルズの映画のようなバッテリーが、実現味を帯びています。また、2007年は、2番目の奥さんとの間に、長男のC.J.君も誕生し、サンプソンの活躍にも期待が持てそうです。
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